【現地レポート②】継承される諦めない姿勢――秋田・NOSHIRO BASKETBALL ACADEMY
2023年1月4日
“ NOSHIRO ” のユニフォームが新春の全国大会に戻ってきた―― といっても、県立能代科学技術のことでも、もちろん、その前身ともいうべき県立能代工業のことでもない。NOSHIRO BASKETBALL ACADEMY (秋田。以下 NOSHIRO B.A.) のことである。
「2022年度 第 3 回全国 U15 バスケットボール選手権大会 (Jr.ウインターカップ2022-23)」の男子 1 回戦に登場した NOSHIRO B.A.は Furuta kings (広島) を 85-60 で下し、2 回戦進出を決めた。
チーム名を聞けば、やはり思い出されるのは県立能代工業高 (現・県立能代科学技術高) だろう。その地元・秋田県能代市で「バスケの街・能代」を継承すべく同チームが立ち上がったのは今から 3 年前の2020年。選手たちは普段、県内各地の自分の中学校で練習をしながら、週末の 3 日間と祝日に集まり、スキルを磨き、チームとしての結束を高めてきた。
チームを率いる柿崎智弥ヘッドコーチは「選手一人ひとりの良いところを引き出せるようにしてきました」とチーム作りの根幹について言及する。その一方で、彼は自らの母校でもある県立能代工業の良さも残そうとしてきた。
「やはりリバウンドやルーズボールをダイブするなど、地味なところを頑張れる選手を私も育てたいなと思っています」
その言葉どおり、Furuta kings とのゲームは NOSHIRO B.A.のルーズボールから始まった。ジャンプボールで強く弾かれたボールが、エンドラインとサイドラインが交わるあたりまで飛んでいきラインを割りそうになったとき、追いかけてきた NOSHIRO B.A.の #11 檜森琉壱が腕を伸ばした。そして彼を追いかけてきた相手選手にボールを当てて、自分たちのボールにしたのである。そのスローインからほかならぬ檜森がチームの初得点をあげ、なおかつ 11-0 のランを生み出した。
「まさに彼のルーズボールからこの試合が始まっています。6-0 になったときに相手がタイムアウトを取りましたが、そのときも選手たちに『これは檜森の諦めない姿勢から始まったんだよ。これを継続していこう』という話をしました」
県立能代工業高を卒業後、JR 東日本秋田 PECKERS でプレーし、その後同チームのヘッドコーチを務めたこともある柿崎コーチがそのルーズボールを称賛すれば、檜森自身は、自分のファーストプレーついて、こう話している。
「最初の得点がウチに入れば流れがよくなると思っていたのですが、(ジャンパーが) ジャンプボールに負けたので…… でも最後まで諦めない気持ちで追いかけて、飛び込んでいきました」
継承されるべき “ NOSHIRO ” の伝統は、単に「ルーズボールを取る」という事象ではなく、その過程にある「諦めない姿勢」にこそ宿される。
かつて「高校 9 冠」を達成するなど、高校バスケットボール界の頂点に君臨していた県立能代工業高だが、2021年には近隣校と統合し校名も県立能代科学技術高に変わっている。それでも新たに動き出した NOSHIRO B.A.が良い伝統を継承することで―― むろん直系ともいうべき県立能代科学技術高とともに ――「バスケの街・能代」の明かりはこれからもしっかりと灯されていく。